小説・十分に発達した魔法は科学と区別がつかない

Chapter 04 見慣れたテキストエディタの画面にカーソルを置き、与えられた課題のキーワードである「言霊」について思いつくことを断片的に書き留めることにします。 言霊。 言葉が人に影響を与える作用。 人の何に? 精神的な何か。 励ましの言葉は言霊か。 逆に悪口は負の効果をもたらす言霊か。 精神的効果を科学的に定式化し、定量評価。←困難 言霊はあくまで精神にのみ作用する? ……。 …。 さて、15分ほどつらつらと連想されたセンテンスを並べてみました。 私はどうやら言霊について次のような見解を抱いているようです。 発せられた言葉が意味解釈されることで人の精神に影響を与える作用を言霊という。主観的体験において言霊の効果は認められる。従って一概に迷信とは言い切れない。しかし、客観性を要請する科学においてこれを定量評価することはできず、科学的とはいえない。 要旨は決まったので、まとまった文章を書いてレポートとしての体裁を整えます。いつものように表紙と見出しの設定を終え、ファイルに保存しました。 シャワーでも浴びるか。そう思うやいなや、私はタオルを片手にバスルームへ向かいました。 ――― 23時。自室。 寝るにはまだ少し早いと思い、昼間に買った例の本をまた開きました。 先ほど挟んだ革製の栞をそっと机の端に置き、§1と書かれたところから読み始めました。 表紙 »

小説・十分に発達した魔法は科学と区別がつかない

Chapter 03 目を覚ますと時刻は夜の20時を過ぎようとしていました。 日はとうに暮れています。 私は慌てて飛び起きると、あり合わせの食材で軽く夕食を済ませました。 明日のゼミ課題を片付けなくては。 世間ではそこそこ名の知れた大学の物理学科に通う私は、4月に配属が決まったばかりの研究室の課題に追われていました。 その研究室は物理学科のなかでも少し異質と言われています。 物理学の世界というのは普通、実験系と理論系に分かれており、研究室の長たる教授はそのいずれかの領域を究めた学者ということになります。 しかし、私の属する研究室は実験系とも理論系ともつかず、いまいち何をやっているのかわからない、というのが定評でした。 精神物理学。 強いて言えば、それが私の研究室が受け持つ学問分野です。 では具体的にどんな研究をしているのか。 研究室のある先輩は、フェヒナーの法則を追証実験しつつ、痛みの強さを客観的に定義できないかを研究しています。 毎日、女子大学生に向かって「私を強く踏んでください!」と懇願し、不審の目、蔑みの目で見られています。 本人曰く「それがかえってたまらないのだよ!」とのこと。 痛みと快情動との相関についても重要な研究テーマなのだそうです。 また、ある先輩は運気と物理現象との関係性について研究しています。 今いける気がする!という好調な気持ちで物事に取り組むとそうでない場合よりも成功しやすい、という客観的事実が5%水準で有意に得られているのだそうで、その理由を解明することに情熱を燃やしています。 なお、この先輩は重度のギャンブラーです。 そして、肝心の教授はと言えば、以前どのような研究をしているのか聞いたのですが難しすぎて私の理解が追いつかず、なんかすごいことやってるらしい程度しかわかりませんでした。 これはあくまで噂ですが、教授は「学会の異端児」と呼ばれ良くも悪くも有名な人なのだそうです。 このような人たちが学内で群雄割拠できるのは本学の懐の深さなのかもしれません。 ともあれ私は明日のゼミのために課題をやっつけなくてはなりません。 「言霊とは何か?これは非科学的な迷信か否か?論ぜよ」 これが目下、取り組むべき課題です。 教授がなぜこのような課題を出したのか想像もつきませんが、きっと何か意味があるのでしょう。 それなりに真剣にやろう。 そう思いつつ、使い慣れた Mac book を開きテキストエディタを立ち上げました。 表紙 Chapter 04 »

小説・十分に発達した魔法は科学と区別がつかない

Chapter 02 その日の午後。 散歩から帰った私はひと息ついた後、先ほど衝動買いした魔術理論書を手に取り眺めていました。 正直、今となってはなぜこんな高額な本を買ってしまったのだろうと後悔していました。 しかし、買ってしまった以上は読まなければなおさら損というもの。 とにかく読もう。そう心に決めました。 重厚な造りの表紙をめくり、「前書き」と書かれたところから読み始める。 文体は古風で回りくどく、読みにくいことこの上ない。 曰く本書は、有史以前から伝わる実践魔術の作動原理・メカニズムをいくつかの基本法則を公理とした数学体系で説明を与える魔術理論書なのだそうです。 なぜ魔術が数学によって定式化できるのか。 それは、魔術発動が人間の脳機能によって成されるからであり、その制御は高次の演繹的思考によって支えられているからなのだとか。 さらに魔術を実行する際の魔法詠唱という精神内の行為が物理世界に影響を与えられるのは、魔術実行者の無意識層よりもさらに下の精神構造であるユング的集合無意識層が活発化し、唯物論的現象界の層がそれに感応した結果だとも論じられています。 意味はわからなくもないけど、完全にわかった気もしない。 おそらくこのまま読み進めていけば、いくぶんわかった気にさせてくれるのかもしれません。 ですが、ここまで読んで私はだいぶ集中力を擦り減らしたようです。 春の快い気候も相まって、私はいつしか眠りに落ちていました。 表紙 Chapter 03 »

小説・十分に発達した魔法は科学と区別がつかない

Chapter 01 ある日のことです。 それはとても爽やかな日でした。 白い陽射しはちょうどよい具合にやわらかく、かすかなそよ風は心地よい。 春。 私はそんな気候を目一杯、満喫するために自宅を出て散歩することに決めました。 午前11時を回った頃です。 道中、なんともなしに近所の古書店に立ち寄りました。 店内は薄暗くて埃っぽく、時間が止まったかのような静謐とした空間でした。 本棚に囲まれた空間の中をコツコツと歩き進めていくと不図面白そうな本の背表紙が目に留まりました。 『公理論的魔術論 <魔術発生過程の数学的原理>』 真っ黒な表紙に銀色の流麗な太い明朝体で題名が書かれていて、どこか厳かな雰囲気をまとっていました。 そこには深淵な、例えばこの世界についての真理が隠されているのではないか。 私は何かに導かれるかのようにして無意識に手を伸ばし、気づいたときにはページをパラパラと繰っていました。 パッと見ただけではわかりそうにない複雑な形をした数式や記号とわずかな説明の言葉、そして大きな円を基調に大小の円、または円に内接する三角形などが無数に描かれたおそらくは魔法陣と思しき図が所狭しとページを埋め尽くしていました。 そこには世界がありました。 私たちの日常からかけ離れた、でもその日常を背後で支配するダイナミックで遠大な構造。 そういったものがこの本の奥のほうで横たわっている。 私はそう確信しました。 パタン、と本を閉じて値札を見遣るとかすれた印字で「現品限り 12800円」と書かれていました。 その高額さに驚きはしたものの、この本にはそれに見合うだけの価値があるように思えてなりません。 買ってしまおうかどうしようかと一瞬躊躇しましたが、本とは一期一会の出会いです。 これも何かの縁だと思い、暇そうにしている店主のほうへ向かいました。 私が「これ買います」と言ってその本を差し出すと、店主は特段愛想も浮かべず値段を告げ、会計を手早く済ませました。 こうして私のものとなったこの奇妙な本を私は大事にショルダーバッグへしまい、古書店を後にしたのです。 表紙 Chapter 02 »